
かつて甲斐の国と呼ばれていた山梨県は武田信玄が支配していた地域としても知られています。甲斐の虎と呼ばれた武田信玄は優れた軍略と政治の才能でこのエリアを統治していましたが、越後の龍と呼ばれた上杉謙信と生涯に亘って何度も激しい戦を繰り返したことでも知られています。軍事力、政治力共に拮抗していた双方ですが、やがて武田信玄は織田信長包囲網の一部となるべく上洛を開始しますが、その途中で病によって倒れてしまうのでした。山梨県には現在でも武田家に纏わるさまざまな名所やスポットが残されていますし、戦国ファンや歴史好きな方に高い人気を誇っています。
甲斐絹は山梨県に端を発する織物で、このエリアで暮らす方だと一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。ただ、名前は聞いたことがあっても実際にその目で見たことがない、触ったことがないという方が多いのも事実です。甲斐絹は1940年頃まで当たり前のように織られていましたし、羽織や和服の素材として使われていたのですが、やがてその姿を消すことになります。西洋風の暮らしを選んだ日本において甲斐絹は不要なものとなってしまいましたし、需要もなくなったことからその姿を消すことになったのでした。
甲斐絹は薄手の生地ではあるものの腰があり、独特の光沢と手触りが特徴的です。通気性にも優れていることから日常の着物などによく用いられましたし、羽織の裏地に用いられることも多々ありました。江戸時代から昭和初期にかけては盛んに生産されていましたが、先ほども言ったように次第に衰退していきます。現在では甲斐絹そのものは生産されなくなりましたが、その技法を活かした織物は数多く生産されています。また、2002年には甲斐絹を復活させようという動きが活発になりましたし、甲斐絹の復活を目指して甲斐絹座も結成されています。甲斐絹で織られた着物などは希少価値も高いことから中古市場でも値がつきやすいです。